月夜見

    “もう幾つ寝ると?”
  


確かに好きで選んだ道ではあるけれど、
それでもこの時期はつくづくと思うのが、
日本でパティシエにだけはなるもんじゃねってこと。
日頃はサ、
可憐なレイディや小粋なマドモアゼルのために、
知恵を絞り工夫を凝らし、繊細に大胆に腕を振るう仕事だ、
至福の職だって実感もするもんだが、
アレだけはいけねぇ。
二月の半ばの、ほれ、アレだ。
女性たちが野郎のためにスィーツを吟味するっていう、
あの忌まわしい習慣があんじゃねぇか。
あんなもん、日本でだけの代物だしよ、
ホントの主旨を知ってる人ってのは、実際の話どんくらい居るんだか。
華やいだ声上げて、ショコラやオペラを選びに来た子たちが、
それをどこの野郎にやるためにキャッキャ言ってんのかと思うと、
その先までを想像すると、ついつい眉間にしわも寄ったもんで。

 「…ってことは、サンジ、日頃は逆にオトコの客も嬉しいんか?」
 「なんでだよ。」
 「だってよ。自分で食うって奴もそりゃいようが、
  これから逢う恋人へのお土産って目的で買いに来る奴のほうが多いんじゃね?」
 「こんな野郎にもそんな相手がいるのかって思うと腹立ってしょうがねぇよ。」

そりゃあ大人げねぇって言わねぇかと思ったか、
それとも、何だ結局はどんな男性客も腹が立つんじゃんかと思ったか。
呆れたように肩をすくめたマネージャーのウソップに厨房を任せ、
ゼラチンのコーティングがつやよく仕上がったフランボワーズのムースと、
旬のイチゴをふんだんに乗っけたデニッシュ風さくさくタルトとを、
表の店のほうへと出しにゆく。
ここはスィーツの専門店『オール・ブルー』。
そんな大きな規模の店構えじゃあないけど、
イートイン・コーナーもあるし、ここいら界隈じゃあ評判の店なんだぜ?
本店は『バラティエ』ってレストランで、
オーナーシェフは俺の爺様のゼフっていう頑固爺ィでよ。
俺は最初はそこのデザート部門を任されてたんだが、
コース専門店だってのに昼間にしか来れねぇとか、
スィーツだけをお持ち帰りしたいって声があまりに多かったことから、
支店みたいな格好でここの店を去年から立ちあげたところが、
クチコミで評判があっと言う間に広まったらしく、
新店とは思えぬ繁盛ぶりだ。
忙しいままに最初の一年が過ぎて、ちっとは落ち着いたこれも証しか、
さっきみたいな愚痴っぽい言いようも零せるようになったって訳で。

 「ナミすわんvv、新しいの上がったよ。」
 「あら、グットタイミング♪」

丁度ショーケースのあちこちに隙間が目立って来たところだったと、
俺をかケーキをか、にこやかに迎えてくれた、
清楚なエプロンドレスが似合う、ホール主任の女神様の肩の向こう。
なめらかな曲線を描くドーム型のショーケースの上ぎりぎりに、
収まりの悪いくせっ毛の天辺が見えていて。
おっ?と気づいてのぞき込めば、
磨かれたガラスの向こうによくよく見慣れたちんまい影がある。

 「サンジっvv
 「おお、ルフィじゃねぇか。」

年の離れた姉貴のところの一粒種で、
よって本来なら叔父と甥の関係なんだけれど。
この年で叔父さん呼ばわりされんのはヤなんでと、
ずっと名前呼びさせて来た甥っ子のおチビさん。

 「どした? お使いか? それとも“おやつ寄り道”か?」

自宅がここの近所だって関係から、
開店当初からのご贔屓客でもあるのみならず。
それどころじゃねぇ、物心ついてからのこっちをずっと、
この子は爺様か俺の作ったスィーツばかりを
当たり前のように食って育って来たもんだから、
手前味噌な話ながら、
そこいらの半端なケーキは駄菓子くらいにしか思えねぇ舌になっちまっていて。
そんなせいでか、まだ小学生だってのに、
お屋敷町ご用達ランクのウチのドルチェやジェラートを、
普通に三時のおやつとして食っていく。
今も“にゃは〜vv”と嬉しそうに笑って見せるので、
持って来たばかりの淡い緋色のムースとそれから、
小さな指でガラス越しに選んで見せた、
小さめの1台まるごとのガトーショコラをトレイに取り分け、
イートイン・コーナーの席までをエスコート。
コテの跡がいかにもナチュラルな、漆喰壁のアイボリーを、
フローリングや腰板、
剥き出しにした天井の棟木や垂木の焦げ茶が引き締めている、
そりゃあシックな空間は。
大きめの窓から射し入る春めいて来た陽に、ほわり暖められており。
曲げ木の背もたれや脚が小じゃれたデザインの、やっぱり濃色のテーブルセット。
大人と同じ椅子へうんしょと登ったすぐ前へ、
飲み物は最近やっと平気になった、微炭酸のレモネードを添えてやれば、
わくわくという音がしそうな笑顔をたたえ、
いただきますと手を合わせ、こいつ専用の丸っこいフォーク片手に戦闘開始。
いつまでたってもランドセルの方が大きかったはずが、
この頃では無駄にこぼさず食べられるようになって来て。

 “そういや、次の春でもう五年生だもんな、早いもんだ。”

あーあー、褒めた傍から頬っぺにくっつけてんじゃねぇよ。
舌じゃあ届かねんじゃね? ほれ、取れた。食うのか? あいよ。
微笑ましい光景に、この時間はあまり多くはない客がそれでも注目していたらしく、
指先で掬い取った生クリームを舐め取らせたのへ、
声なき歓声が上がるのも、まま いつものことだけど。

 『サンジくんも人気あるしねぇ。』

よしとくれ、ナミさん。
俺は、この店にいるときは誰のもんでもないんだと、常に自分を戒めてんだからvv

 『…どういう意味だ、そりゃ。』
 『うっせぇな、いろんな意味だよっ。』

あああ、粉屋のバイト野郎とやり合ったとこまで思い出しちまった、むかつくぜ。
そうこうするうちにも一通りを堪能なさった小さな王子は、
今度は大きめのグラスを両手で抱え込むようにして、
坊主には“大人の味”になるらしい、
甘みの薄い、しゅわっとするレモネードを堪能してらしたが、

 「…あんなあんな、サンジ。」

そのグラスの陰から、こいつにしては珍しくも小さな声音で、
用心深げに声を掛けて来やがって。
お代わりがほしいんならこんな遠慮がちには言わねぇしな。
トイレの場所も知っていようし、
お子様のレベルでの何か相談ごとだろかと。
どした?と、そりゃあ気安く…何の身構えもないままに訊き返したところが、

 「ばれんたいんのお返しって、何がいいんだ?」
 「………☆」

何ですて?
ばれんたいんのお返しって…まさかまさか、
バレンタインデーのチョコのお返しって意味ですかい?

 「…そんな顔しなくてもいいじゃんか。////////

そんな顔って。
真っ赤になってモジモジしとるお前こそ、
外でそんな顔すんの、兄ちゃん初めて見たぞ。
母の日のカーネーションを初めて姉貴に差し出したとき以来じゃね?

 「お返しねぇ。」

そもそもはマシュマロらしいが、
チョコ自体も取ってつけなのと同んなじで、
それだってお菓子の業界で打ち出したものだって話だしな。

 「まあ、相手によるよな。」

第一、お前さ。
これまでにもそりゃあ沢山を毎年もらってたのは知ってるが、
一度だってお返しなんてしたことねぇのによ。
親戚の欲目を差し引いても、このおチビさんは確かに可愛い。
まだまだ子供で痩せっぽちで、強いて言やあ中性的というトコか。
元気で腕白、でも決して粗野じゃあない。
大きくてうるうると潤みの強い、黒目がちの瞳に、
ふわふかな小鼻と頬っぺは 質のいい羽二重もちみたい。
まとまりこそ悪いが、
触ると柔らかでさらさらしてる髪は小動物の毛並みみたいで、
しかもそれを撫でてやると、そりゃあ愛らしくも天真爛漫に笑うと来ちゃあ、
ご町内じゃあ知らぬ人はいないってほどのアイドル扱い。
保育園時代から既に、同い年から女子中高生、
若いお母様方やもちょっと年嵩な人妻までと、
あらゆる層から可愛がられての構われ放題。
バレンタインデーやハロウィンなどなどには、
山ほどのチョコじゃお菓子じゃ貰いまくりなのがもはや当然となっており。
とはいえ、まだまだお子様なので、
お返しなんて知らなかろうし、しなくてこれまた当然と。
誰だって思っていたはずで。

 “う〜ん…。”

それがこのご発言だ。
貰ったことへと何かしら、意味とか意義とか感じたってことにならねぇか?
チョコくれて嬉しかったとか、その人からの貰いもんには意味があるとか、
少なくともそうと感じたってことじゃね?
そうか、そういうお年頃になったのか。
姉貴は知ってんのかね。

 「相手?」

当の坊やは、こっちの言いようへキョトンとして見せており、
だからほれ、同い年の小学生だったらお菓子でいいけど、
ちょっと年上のお姉さんだったらハンカチとか添えた方がいいとかよ。
あ、けども、まだ子供のお前がそんな気ィ遣うのも却って何だしな。

 「何だよ、そんなにも気になる人なんか?」

だってよ、食いしん坊なこの坊主が、お返しに何がいいのかと、
菓子屋の俺に訊くのは…色んな意味合いから物凄いことだと思わね?
食べ盛りの食い気盛りが、
場合によっちゃあ誰かのためにスィーツを用意しようって思ってんだぜ?
そうまでの気分になってるって相手。
気にならねぇ筈がないってもんで、少しばかり身を乗り出して、
声を低めて訊いたらば。

 「………誰にも言わね?」
 「言わねぇさvv

そんな美味しい話、誰がそうそう簡単に他人へ聞かせますかっての。
さあさあと目許細めて、飛びっきりの笑顔で促せば、

 「あんな? …………………ぞろ。」
 「………………………………はい?」

何だって? 俺の知ってるのにも同じ名前のがいるんですけど。
ウチに出入りの粉屋の息子で剣道バカで、
そういやルフィんチとは同じご町内ではあったっけね。

 「あんなあんな? ばれんたいんの時にな?
  道場で貰ったっていうチョコ、紙袋にいっぱいくれたんだ。」
 「………あのな、ルフィ、それって。」

厄介払いつうか、自分は喰わんからお前にやるってクチじゃね?
そんなもんへお返しの必要は…、

 「それだけじゃねぇもんっ。
  いつもいっつも遊んでくれるし、しくだい見てくれっし、
  雨降ったら体操教室まで自転車で迎いに来てくれっし、それから…。////////

あーあー、判りましたって。
そんな、小さなお手々を ぐうに握ってムキにならんでも。
俺の通ってた高校の後輩で、
今確か二年だった筈から年の差が物凄いし、何より男だってのによ。
クールでカッコいい?
馬鹿言うな、
クールってのは俺みたいなスタイリッシュな男へ使う言葉だぜ?
あんな野暮天の唐変木は、ただの無愛想ってんだ。
あ、あ、判った判った。
腐さねえから、泣くなっ。
お前がそやって眸ぇうるうるさせっとな、この俺でも心臓に悪いんだってばよ。
で? あの朴念仁…じゃねぇや、剣豪様へのお返しを用意したいんだって?
それじゃあスィーツやっても喰わんだろよ。
俺が作るのは食うって?
おやつに出すといつも平らげてる?
………あんま嬉しくはねぇな、それ。
あ、ああああ、いやえと、判った判ったって。
そん中で、何が一番 喰いつきが良かったんだ?
チキンドリアとかピザのマルガリータ?
お前、それってスィーツじゃねぇって。
判った、じゃあ当日にはスペシャルセットを用意してやっからよ。
当日だ、ホワイトデー。お返しなんなら、今月の14日だ。

 「ありがとなっ、サンジっ!」

大好きだって? よせやい、そんくらいでよ♪
にぱーって笑ってまあ、そんな嬉しいかvv
あんな奴の腹に収まるかと思うとちょっち複雑だが、
まま、ルフィへ作るものへのおまけと思やいいだけのこったしな。


  ……それにしても。
  来年からは、ホワイトデーまでもが俺にとっての鬼門になりくさのんかね。
  あ〜あ、やっぱ日本ではパティシエになんてなるもんじゃねぇよな。






  〜Fine〜  08.3.08.


  *今回のはゾロが大人ですが、
   何だかんだ言って、子供好きなんじゃないかってほど、
   子供なゾロルというパラレル話も結構あるんですよね。
   子ゾロルヒ(ヨーデルか)のコーナーってのを作ってもいいくらい。
   ただ、その時その時の思いつきなのばっかなんで、
   集めちゃうと却ってややこしいかもしれないしなぁとも思うので、
   今のところは“検討中”です。

  *ちなみに、一番古い子ゾロル作品はこれ →

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